他者貢献は綺麗事ではない

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多くの本やメディアで成功者の人が

『他者貢献をしたくて,〇〇をやっています』

『人々を幸せにしたくて,努力をしています』

と世のため人のために働いていると言っている人をよく見かけます.

というか,成功している人ほどこういうことを言っている印象がありませんか?

僕は最近まで『本当は個人的な欲求がたくさんあって,それを人前で言うと人気が下がるから綺麗事言っているだけでしょ』とやや捻くれた目で見ていました.

しかし,最近『生きる理由』を考えたことや,

稲盛和夫さんの書かれた『ゼロからの挑戦』を読んだことをきっかけに,改めて考え直してみたところ,

『これは本当に心の底からそういう風に思って言っているんじゃないか?』と思い始めました.

その理由を話していきます

この記事は完全に自分の仮説なので,参考程度でお願いします.

他者貢献が綺麗事ではない理由

これはマズローの5段階欲求を見てみると,理解できそうです.

よく学校で教わりますが,マズローの5段階欲求というものがあり,それは人の欲求には5段階あって,その段階を踏まないと次の段階の欲求は感じられないというものです.

階層説明
1,生理的欲求衣食住などの欲求
2,安全確保欲求集団に属してリスクや危険から身を守りたいという欲求
3,認知評価欲求他者から評価されたいという欲求
4,自己尊厳欲求他者から尊敬されたいという欲求
5,自己実現欲求自己の存在意義を実現する欲求

これを改めてみてみると,冒頭で話した『世のため人のため』と言っている成功者たちの言葉は心の底から思っていることなんじゃないかなと思います.

成功している人は1〜4までの欲求はもう満たしていると思います.

成功していれば衣食住に困ることはないだろうし,安全も確保されているだろうし,評価も尊敬もされるだろう.

そして,次に来るのが5番目の自己実現欲求です.

これは簡単に言えば,『自分がいる意味を見出したい』だと言えます.

自分がいる意味は結局他者貢献によって得られるものです.

だから,冒頭に話したように成功している人ほど『世のため人のため』と言うのではないかと思いました.

なぜ綺麗事に感じるのか?

これは結論,自分がその段階までの欲求を満たしていないからだと思います.

自分がもし,今日食べるものを買うのに一苦労して,家もない状況だとします.つまり,マズローの五段階欲求の1つ目を満たすのに必死な段階です.

そんなときに他者貢献なんてしようと思いますか?

自分が満たされてないのになんで他者を満たさなきゃいけねえんだ!と思うはずです.

恥ずかしながら,捻くれた目で見ていた僕は,まだまだ未熟で成功者ほどの器を持ち得ていなかったと言うことです.

なぜ自己実現欲求は淘汰されなかったのか?

結論,1人では得られなかったような利益を得られたり,逆に助けてもらえたりと生存に有利に働くからなのではないかと思います.

人が持ち得ている生物としての機能には,存在している理由があります.

『食欲人』や『スマホ脳』などの本を読んだらよく分かりますが,進化というのは,ある種がじわじわと年月をかけて,変化していったものではなく,突然変異的に生まれた特異な機能・性質を持つ種が生存競争に勝ち抜いたことによって起こるものなのです.

少し難しい話をしましたが,ドーパミン(その行為を繰り返したくなるホルモン)を例に挙げると分かりやすいです.

大昔,僕たちがまだサバンナでサバイバルをしていた時に,フルーツを食べてドーパミンが出た種と出なかった種を比較します.

ドーパミンが出ない種はたくさん実ったフルーツを腹五分程度食べて,その場を去ります.

一方ドーパミンが出る種はフルーツを食べるほどドーパミンが放出されて,どんどん食べたくなり,お腹いっぱいになるまで食べてその場を去ります.

次の日お腹をすかしてもう一度同じ場所に来た時,フルーツが全て無くなっていたら,ドーパミンが出ない種は新たな食場を探していく過程で餓死するかもしれません.

一方,ドーパミンが出てたくさん食べた種はフルーツが全てなくなっていても,前日食べた栄養が体に残っているおかげでドーパミンが出ない種に比べてより長く生き残ることができます.

こういったことから,ドーパミンが出る種が生き残り,それが今の僕たち人類な訳です.

話を戻すと,自己実現欲求を持っていた種と,持っていなかった種がいて,持っていた種のみが生き残り今も僕たちが受け継いでいるという可能性も高いわけです.

だから,自己実現欲求は生存競争に必要な欲求であった可能性が高いと考えられます.

そして,想像するに,他者に貢献することで人を助けると,その人から報酬が返ってくることがあります.

これを返報性の法則と言ったりもします.

これにより,本来1人では得られなかったような利益を得られることになったり,逆に助けてもらえたりと生存に有利に働くからなのではないかと思いました.

まとめ

成功者の言う『世のため人のため』は綺麗事ではないように思いました.

もし自分が綺麗事だと思うのであれば,それはまだその段階の欲求を満たしていない未熟な状態であるからであるということです.

当然,個人的な欲求もたくさんあると思いますし僕も欲しいものややってみたいことたくさんあります.

でも,最終的に行き着く先は他者貢献になるのではないかと思ったという話です.

なので,まずは自分が満たされるまで頑張り,それから現状に満足せず他者貢献できるように頑張ろうと思いました.

ここまで読んでいただきありがとうございます😃

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